アイヴィーズ – メイビー・トゥモロウ [1969] LP
1969年発売 1970年代ビートルズ・フォロワーズ

Maybe Tomorrow [LP] – アイヴィーズ(The Iveys)

『メイビー・トゥモロウ(Maybe Tomorrow)』は、1969年(昭和44年)7月4日に発売された、イギリスのロック・ポップスグループ「ザ・アイヴィーズ(The Iveys)」の唯一のオリジナル・アルバム(全12曲)です。

Maybe Tomorrow [LP] – アイヴィーズ(The Iveys) のデータ

アイヴィーズ – メイビー・トゥモロウ [1969] LP のデータ

画像出典:発売予定だったUSでのアルバムジャケット

INFORMATION
曲名 A-SIDE
①See-Saw Granpa
②Beautiful and Blue
③Dear Angie
④Think About the Good Times
⑤Yesterday Ain’t Coming Back
⑥Fisherman

B-SIDE
①Maybe Tomorrow
②Sali Bloo
③Angelique
④I’m in Love
⑤They’re Knocking Down Our Home
⑥I’ve Been Waiting

発売日 1969年(昭和44年)7月4日
作詞作曲 A-① B-②④⑤⑥作詞・作曲:ピート・ハム(Pete Ham)
A-②⑥ B-①③作詞・作曲:トム・エヴァンス(Tom Evans)
A-③ 作詞・作曲:ロン・グリフィス(Ron Griffiths)
A-④作詞・作曲:マイク・ギビンズ(Mike Gibbins)
A-⑤作詞作曲:ピート&トム(Pete&Tom)

ザ・アイヴィーズ(The Iveys)のBIOGRAPHY(来歴)
1969年のザ・アイヴィーズ

画像出典:ビートルズのようにハーフシャドウで撮影されたスナップ

ザ・アイヴィーズ(The Iveys)は、レコードデビューを果たすまで、どのような活動をしてきたのでしょうか?大きな出来事とともに要約していきます。

アップルと契約するまで

まず、アイヴィーズは1961年(昭和36年)ウェールズの港町スウォンジーで「パンサーズ」という名前で結成されました。その後、1964年(昭和39年)ごろには、スウォンジーのアイヴィー・プレイスという通りにちなんで「アイヴィーズ(Iveys)」というグループ名に落ち着き、1965年(昭和40年)にドラマーのマイク・ギビンズが加入しました。

1966年(昭和41年)にはマネージャーのビル・コリンズの自宅でメンバーが共同生活を開始。デモ・テープ作りをしては、レコード会社に売り込みました(キンクスのレイ・デイヴィスがプロデュースのオーデションなど)。

また、ライブ活動はロンドンを拠点に、時にはデヴィッド・ギャリック(リバプール出身の歌手)のバックバンド(David Garrick And The Dandy)としても、コンサートに参加していました。

1967年(昭和42年)に、メンバーのダイ・ジェイキンスが脱退。かわりにリバプール出身のトム・エヴァンスがギター・ボーカルとしてメンバーに迎えられました。

アップルと契約

1968年(昭和43年)には、晴れてアイヴィーズはビートルズが作ったレコード会社「アップル」と契約します。

その経緯は、ビートルズのローディー兼アシスタントのマル・エヴァンスと、アップルのA&R(アーティスト・アンド・レパートリーというアーティストの発掘から契約までを統括する仕事)の責任者であるピーター・アッシャーが、新しいアップルの新人歌手を発掘しているさなか、同年1月25日に二人で彼らの演奏をロンドンにあるマーキー・クラブで実際に見たことからはじまります。

マル・エヴァンスは、アイヴィーズを気に入りデモ・テープをビートルズ・メンバーの全員に聞かせ、晴れてアップル・レコードからデビューすることになりました。

Maybe Tomorrow / And Her Daddy’s a Millionaire

Maybe Tomorrow / And Her Daddy's a Millionaire

画像出典:メイビートゥモロウEPの日本盤

1968年(昭和43年)11月5日に、いよいよファースト・シングル「Maybe Tomorrow」がリリースされました。

この曲は、新しく加入したトム・エヴァンス作詞作曲で、豪華なストリングスが加味されたトニー・ヴィコンスティプロデュースによって完成されたビートルズ風のブリティッシュ・ポップです。

全世界的に発売されたこのシングルは、オランダでは1位、ヨーロッパと日本でヒットしましたが、イギリスではチャート・インせず、アメリカでは67位止まりと失敗に終わったため、用意されていたLP(アルバム)も発売地域がヨーロッパと日本に限定されてしまいました。

Dear Angie / No Escaping Your Love

Dear Angie / No Escaping Your Love

画像出典:いとしのアンジーEP日本盤

イギリスとアメリカでヒットしなかったアイヴィーズでしたが、所属会社のアップルは彼らにもう1度チャンスを与えるべく、アルバムの中からセカンド・シングル「Dear Angie」を選び、1969年(昭和44年)7月18日にリリースしました。

この曲は、ギターのロン・グリフィスの作詞・作曲でB面はトム・エヴァンス作の「No Escaping Your Love」が選ばれました(アルバム未収録)。

すでにアップルの社長であったアラン・クレインがアイヴィーズのアルバム『メイビー・トゥモロウ』をアメリカとイギリスで発売させないマーケティングをとったことから、このシングルもオランダ・西ドイツ・日本・スウェーデン・フランスと地域が限定されて、ヒットにはつながりませんでした。

ウォールズ・アイスクリーム宣伝用EP

ウェルズ・アイスクリーム宣伝用EP

画像出典:ウォールズ・アイスクリーム宣伝用EP

この4曲入りのEPは、イギリスのアイスクリーム・メーカーのウェルズ(Walls)が新製品を宣伝するためにアップルの若手アーティストの曲を通信販売のみで売り出したものです。発売日は「いとしのアンジー」と同時期です。

4人の若手アーティストとは、メリー・ホプキン、ジェイムス・テイラー、ジャッキー・ロマックスとザ・アイヴィーズのことで、彼らは「Storm In A Teacup(トム・エヴァンス作)」を提供し、こちらもアルバム未収録です(のちにCD化の際ボーナス・トラックとして追加されました)。

ポール・マッカートニーからの楽曲提供とバンド名変更

「Maybe Tomorrow」と「Dear Angie」が世界の地域限定でリリースされたことを、メンバーのロン・グリフィスは、雑誌『ディスク&ミュージック・エコー』において、「新しいシングルの曲を書き続けているのに会社に無視されている」とアップルの対応への不満をぶちまけました。

その雑誌を目にしたビートルズのポール・マッカートニーは至急、彼らに自作の「Come and Get It」を提供することを決め、1969年(昭和44年)8月2日に、ポールの指揮のもと1時間ほどでレコーディングされました。

このシングルは、リンゴ・スターが主演する映画のタイアップも決まっており、ヒットが予想されたましたが問題は彼らの「アイヴィーズ」というグループ名が先にデビューしヒットを飛ばしていた3人組『アイビーリーグ』とかぶるため、バンドと制作チームはグループ名の変更を視野に、さまざまな改名案が出されました。

アイヴィーズに代わって出されたバンド名は、バッドフィンガー(Badfinger)。悪い指という意味ですが、ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の現題名「バッド・フィンガー・ブギ」からきています。1969年(昭和44年)12月バンドは、バッドフィンガーと改名することになりました。

さらに詳しくこの歌手を知る↓

バッドフィンガー(Badfinger)
バッドフィンガー(Badfinger)

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